ぼく自身は今回の55%という投票率は想定以上に高かったなと思いました。前回の小池旋風が荒れまくったとき(59.7%)に比べても、コロナを考えると、意外に高かった。そう思っていましたので、この投票率に虚無感を感じる人がいてぼくは驚きました。
そこで、過去10回の都知事選の投票率を米国の大統領選の投票率と比べてみました。
都知事選(大統領選)
- 51.56% (52.8%)
- 50.67% (53.3%)
- 57.87% (50.3%)
- 44.94% (55.2%)
- 54.35% (49.0%)
- 57.80% (50.3%)
- 62.60% (55.7%)
- 46.14% (58.2%)
- 59.73% (54.9%)
- 55.00% (55.7%)
米国では、他の選挙(例えば国会議員選挙)などにくらべて、大統領選は一番盛り上がり、投票率も比較的高い選挙です。それと比べても、都知事選の投票率は遜色ないと言えるでしょう。
これをみてあまりの低さに虚無感を感じるのか、ぼくのように、コロナのことを考えると意外に高かったな、と感じるのか、人それぞれだと思います。
資料
都知事選:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E9%81%B8%E6%8C%99
大統領選:
https://en.wikipedia.org/wiki/Voter_turnout_in_the_United_States_presidential_elections
「政治に興味はない」というのとはちょっと違うような気がします。日本や米国に関して言えば、いろいろなことを達成するのに、いちいち政治がわたしたちの生活に介入しなくてもよい(裏を返せばわたしたちが政治にいちいち介入しなくてもいい)成熟した社会の仕組みが出来上がっている、と言うことだと思います。
過半数そこそこというのは、政治権力は無視しないが、みんな一緒に熱くなってそれに介入することもない。そういうことですよね。何でもかんでも家族会議にかけてものごとを決定するのではなく、必要なこと以外はそれぞれが自分勝手に活動できる家族のようなものですね。なんでもかんでも家族会議にかけて決定するのを民主主義と思っている人もいますが、ぼくは、最小限度に必要なこと以外は、会議(政治)を通さず自分勝手にできる家族の方がよりすぐれた民主主義だと思っています。