2022年10月21日金曜日

日本においては、自由を守ることができるのはその自由を取り上げられる少数派側の本人たちしかいない。

 宗教や思想の自由は大切だと自分は思うので、ぼくらの側から見て、どんなにへんてこりんに見えたとしても、かれらのその権利は守らなければならないとぼくはおもっている。かれらが、自分たちは悪いことをしてないと信じているなら、まあがんばれ、という以外にない。

日本においては、自由と民主主義をみずから勝ち取ったという歴史がないので、一般人はもとより、政治家や弁護士や報道関係者でも、自由の本当の大切さを理解できるものはほとんどいない、とぼくは思っている。「常識を外れている」とか「家族が反対している」とかという理由で、日本人がいともかんたんに他人の自由を奪うことができると思い込むのも、日本には自由や民主主義のために血を流した歴史がないからだろう、とぼくはおもっている。 だから、日本においては、自由を守ることができるのはその自由を取り上げられるかもしれない少数派側の本人たちしかいない。日本では自由のために戦う弁護士やジャーナリストなどいない。かれらは孤立無援だ。その意味でも、かれらには、がんばれ、という以外にない。そうすれば、もしかしたら、「自由」が日本においても単なる教科書に出てくる言葉以上のものになるかもしれない。

日米共同声明に抗議 日本公使に「強烈な不満」表明―中国

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