かれは自分の考えを「自動車のプレートに書けてしまうぐらいシンプルだ」と言って、それは「自由、安全保障、民主主義」である、と言っています。この一見どこにでもあるようなスローガンを聞いて心にピンとくれば彼の思想がわかっていると言えます。ミソは「自由」と「民主主義」の間に「安全保障」が入っているところです。
かれはオバマとは全然違います。あえて言えば、かれはレーガン大統領に似ているといえます。彼が相手にしているのはトランプなどではありません。かれはトランプを目の前のうるさいハエぐらいにしか考えていません。ハエはじゃまなのでたたき殺さねばなりませんが、かれが戦っている本当の相手はレーガンです。もっと正確に言えばレーガンの残したアメリカです。かれはレーガンが保守的な共和党側からやったことをリベラルな民主党側からやろうとしているのです。
もう少し説明すると、彼は今の時代のアメリカの政治の基本をつくったのはレーガンだという政治史観をもっています。かれが歴史本を書くとしたら、1980年代から今日までの40年間を「レーガン時代」と呼ぶかもしれません。つまり、レーガンが残したものは、たんなるあれやこれやの政策の寄せ集めではありません。レーガンは現代という時代そのものを作ったのです。意識していようがなかろうが、現代人(アメリカ人)はみなレーガン主義の社会のなかに住んでいるのです。そのように彼は考えています。
彼自身は表明していませんが、おそらく彼が最も尊敬する政治家の一人はレーガンその人です。しかし彼自身はレーガンと違ってリベラルな考え方(世の中から脱落した人々に救いの手を差し伸べることは政治家の責任だという、かれのキリスト教信仰からの政治信条)をもっているため、レーガンのやったことを保守的思想ではなくリベラルな土台の上に築こうとしているのです。かれがしばしば「次の4年間ではなく、次の40年間を変える」と言っているのは、まさにそのことです。
そういうわけで、彼の考え方を本当に理解するためには、すでにレーガンの考え方を知っていなければなりません。それはいちいち説明することはできませんが、一言でいえばまさに「自由、安全保障、民主主義」ということです。冷戦時代のレーガンの政治思想は、これらをアメリカがもっとも重んじる価値と指針として掲げ、アメリカをひとつにまとめていったと考えられます。
国内の経済政策も、国際関係上における政策も、すべてレーガンのこの哲学的土台の上から