2024年10月28日月曜日

古代〜中世には「出雲国出雲郡杵築郷」と呼ばれていました

 『出雲国風土記』(733)には、「国づくりをなされた大国主大神様を〝天の下造らしし大神〟と称え、大神様のお住まいを多くの神々が集われ築かれた。それゆえに、この地域をキヅキと名付けられた」とありますね。

また、平安時代の藤原摂関家の家庭教師であった源為憲(みなもと・ためのり)により書かれた『口遊(くちずさみ)』という教科書に、平安時代の巨大建造物の順位を、「雲太・和二・京三」と記されています。すなわち「雲太」とは〝出雲太郎〟の略で、出雲大社の神殿のことを言い、〝大和二郎〟の東大寺大仏殿より大きかったと明記しています。 つまり、むかしから「杵築」も「出雲」も使われていることがわかります。ちなみに現在の大社の住所も「島根県出雲市大社町杵築東195」となっており、その両方の名称が使われています。その少し前は「出雲市大社町杵築村」、さらにその前の古代中世には「出雲国出雲郡杵築郷」と呼ばれていました。つまりこの大社はむかしから「杵築の大社」であり「出雲の大社」でもあるということですね。おそらく出雲内に住んでいる人々は「杵築の大社」を思い描き、出雲の外に住んでいる人たちにとっては「出雲の大社」ということだったんではないでしょうか。 明治時代の改名は有名になった通称名(出雲の大社)に統一した、ということでしょうね。

日米共同声明に抗議 日本公使に「強烈な不満」表明―中国

 https://www.jiji.com/jc/article?k=2025021000786&g=int 日米共同声明に抗議 日本公使に「強烈な不満」表明―中国 時事通信 外信部 2025年02月10日19時18分 配信 中国外務省=北京(AFP時事)  【北京時事】...