2024年10月26日土曜日

島田さんの主張はそもそも事実(相手の主張)をしらべることから出発しておらず、論理的にも誤りがあります

 自分は日本保守党にも飯山あかりさんにも関係のない第三者(どちらの支持者でもない者)ですが、たまたま最近見た飯山あかりさんの日本保守党批判の動画を一つ見て「なかなか興味深い」と思って、それ以外の動画もいくつか見ました。その中には島田さん批判の動画もありました。そして島田さんの飯山批判の動画も見ました。以下はその両者の主張に関する第三者としての感想です。

感想1.第三者的立場から見ても、飯山あかりさんの批判はきわめて論理的で、証拠となる文や映像なども視聴者にちゃんと示しながら説明されており、普通に説得力があります。

感想2.島田さんは、ご自分の動画の中で飯山さんの動画をちゃんと見たわけではないが、周りの人の意見をきいて発言をしている、とご自分でおっしゃっておられるます。もし飯山さんの動画を自分で見るという確認作業をしないまま、ただ周りの人のうわさを根拠に彼女を批判しておられるとすると、それはまったく説得力がありません。なぜなら、うわさと事実は同じではないからです。批判するならちゃんと事実(相手の主張)を調べてからすべきです。そうでないかぎり、その批判は相手の主張に対する批判になりません。

感想3.島田さんの今回の批判は彼女の動機に向けられています。「公認候補に選ばれなかった怨念」とか。これは問題です。そもそも人間の心の中など他人にわかるものなのでしょうか。何十年も同じ屋根の下で住んでいる家族の心さえ本当に理解しているかどうか心もとないのではないでしょうか。なぜなら、他人の心の中というものは、体重や身長などと違って、事実として誰にでもわかるような形で、客観的に明示できるようなものではないからです。それは、あくまでも解釈する側の思い込みにとどまります。つまり、動機批判というものは相手に関する事実を述べたものではなく、批判する側の頭の中にしかない感想にすぎません。それは相手の主張に対する批判にはなりません。

感想4.島田さんの今回の批判は、相手の主張を批判するために、その主張ではなく、相手の人格(汚い動機)を批判されています。これはいわゆる「人身攻撃」といわれる論法です。相手の主張の誤りを指摘するのではなく、相手の人格を貶めて「だからこの人の言うことは信用できない」と思わせる論法です。しかし、「人身攻撃」は論理的誤謬です。たとえば、極悪人だからといってその人の数学の答えが間違っている、とは言えないからです。つまり、たとえ人格攻撃(動機が汚い)が妥当だとしても、その人の主張が間違っていることを証明したことにはなりません。彼女の人格に関係なく、彼女の主張の正しさ(あるいは誤謬)は成立し得ます。

感想5。学者としての飯山さんを尊敬していると島田さんは言われていますが、彼女の日本保守党批判にも彼女の学者としての技法や良心(論理と事実から自分の主張をすること)が貫かれています。それにくらべて、島田さんの飯山批判はそもそも事実(相手の主張)をしらべることから出発しておらず、論理的にも誤りがあります。学者としての技法や良心がそこには見うけられません。

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