「まとめ:(台風の)進路予報(には)依然として不確実性が存在(する)・・・」
ということだったら問題はなかったのですが、でも、まさか、そんなことを主張されているのではなかったと推察します。なぜなら、そんなことは、わざわざ教えてもらわなくても、だれでも知ってることだからです。
もとのお話は「台風の進路を翌日まで正確に予測すること・・・には高い不確実性がある」ということでした。ここでわざわざ「高い不確実性」という表現を使われていたのにはちゃんとした理由があったのだろうと考えられます。文章の全体から推察してみると、おそらく、現在の科学では翌日の台風の進路予報さえも「高い不確実性がある」のに、「100年後の地球の平均気温を予測する」のことはもっと信頼するに足らない、という主張なんだと。そう解釈しました。
そうすると、いったい天気予報の「不確実性」とはどんなものか、ということが疑問となります。どのくらい不確実なのか。転がしたサイコロの目のように、まったくの当てずっぽうなのか。それとも何らかの合理的な根拠があるのか。「台風進路予報の年平均誤差の一覧表」を見ると明らかにその誤差は年々小さくなっている。技術の進歩によって、不確実性が低下している。そしてなによりも、世界中のひとびとが天気予報を利用している。つまり、天気予報は「当てずっぽう」ではなく、どうやら合理的・確率的な根拠があると考えられます。
しかし天気予報には合理的な根拠があるという考えはお嫌いですよね。